事業案内

事例紹介

厨房・店舗 設計施工事業 KANAU Cafe Resturant 賀名生旧皇居




KANAUは、国指定重要文化財「堀家住宅」賀名生旧皇居をリノベーションして2019年3月にオープンします。ホテルとレストラン、そしてウェディング。
奈良県西吉野村の北部・和田の丹生川の清流に臨むようにひっそりとある賀名生の旧皇居「堀家住宅」。延元元年(1336年)の年の暮れ、足利尊氏によって京の都を追われた後醍醐天皇は、吉野へと向かう途中に郷土堀孫太郎信増の邸宅に迎えられました。天皇を手厚くもてなした郷士「堀孫太郎信増」の邸宅はその後、後村上、長慶、後亀山天皇の皇居として南朝の歴史を刻んできました。
静かで風情のある賀名生旧皇居の堀家住宅にたたずむと、遥か遠い時代が今に蘇り、束の間幻想の世界に連れられて行くような不思議な感覚におちいります。お客様を迎える冠木門には、江戸時代末期の倒幕運動のさきがけであった天誅組のリーダー・吉村寅太郎の筆による「賀名生旧皇居」の扁額がかかっています。門を潜ると、かつては雅な京都人達を迎えれた重厚な屋敷が目の前に現れ、その様子は、まるで隠された歴史を見る思いがすることでしょう。
堀家住宅のある奈良県西吉野村の北部・和田は、昔「穴生(あなふ)」と呼ばれていましたが、後村上天皇は南朝が正統でありたいと「叶名生(かなふ)と名付けられました。正平6年(1351年)足利氏が南朝に帰順し、多くの公卿や殿上人が賀名生に参候して北朝が否定されたので、翌正平7年の正月、後村上天皇は「願いが叶って目出度い」との思し召しから「賀名生」と改める勅書を下されたと伝えられています。当時は「かなふ」と呼ばれていましたが、明治の始めになって呼び方を「あのう」に統一しました。
KANAUの名は、堀家住宅を後村上、長慶、後亀山天皇の皇居としてお使いいただいた当時のこの地の呼び名「かなふ」を意味しています。

DATA

導入設備 カフェレストラン部における厨房機器一式
施主 ゴダイゴ・プラニング様
業種 ホテル、ブライダル、Cafe Resutaurant
所在地 奈良県五條市西吉野町賀名生1番
WEB https://kanau1318.jp/

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